1995年、日本の風景。ユーモア溢れるかえるくんとマクガフィンにされる女【『神の子どもたちはみな踊る』感想】Spoiler Warning

『神の子どもたちはみな踊る』Amazon書影より引用 批評
『神の子どもたちはみな踊る』Amazon書影より引用

>>>Spoiler Warningーーーネタバレ注意<<<

 村上春樹が1999年から「地震のあとで」というテーマで連載した連作短編を単行本化したもの、およびそのうちの一作のタイトル。

「UFOが釧路に降りる」

 「UFOが釧路に降りる」は連作の1作目。妻に捨てられた男が、同僚の頼みで正体不明の箱を釧路まで運ぶことになる。箱を渡す相手の女性二人が出てきてホテルに連れて行かれて以降、小さな違和感が徐々に広がっていくが、その感覚を拭い去らぬままに物語が幕を下ろす。正直初見でなんのこっちゃわからない話だったが、調べてみると面白い。

 文芸評論家の故・加藤典洋氏曰く、本作並びに連作は地震(阪神・淡路大震災)だけでなく、同時期に発生した地下鉄サリン事件(オウム真理教)についても取り上げているという視点を持つことで読解できるという。つまり、箱を渡してきた同僚も、ホテルに誘ってきた女性二人も新興宗教の信者だということだ。本作でキーワードになる「地震」「UFO」「箱」その全てに漂うこの世ならざるもの(畏怖?)という感覚と、どこか足元をすくわれているような奇妙な感覚への回答として、とてもすっきりした。

共同通信 47NEWSさんの記事 『「村上春樹を読む」(86)あの箱の中身は何か 「UFOが釧路に降りる」』を参考にし、理解が進みました。ありがとうございます。

「アイロンのある風景」

 「アイロンのある風景」では「焚き火(ジャック・ロンドンの『焚き火』と、劇中での実際の焚き火)」がモチーフとなっている。三宅と順子、主たる社会から外れた生き方をする人(アウトサイダー)の二人は自らの抱えているものに大きく心を引かれつつもそれに相対する力は失っている。三宅は捨て去った妻子が気がかりでありつつも、震災に巻き込まれたことがわかっていてすらそれに対する大きな感情(あるいは行動)を持つことが出来ない。どこかで死を求めながらもやはり生きてしまう心。静かな短編。

「神の子どもたちはみな踊る」

 表題作の「神の子どもたちはみな踊る」は新興宗教にハマるシングルマザーのもとで育った主人公・善也(ヨシュア?)が、”生物学上の父”を見かけたことによって、母の強烈な拒絶を圧してでも手に入れた信仰からの脱却にもかかわらず逃れられない自身の闇に向き合う話。自らの父(母を抱いた男)への複雑な感情(単純興味、恨みあるいは妬み)を自覚し、ひいてはこれまで自覚しながらも恐怖とともに拒絶していた母への感情(性愛、エディプスコンプレックス)を受け入れる。「踊る」というモチーフで示されているのは自然、あるいは摂理と一体になり、それまでの「罪悪感」「劣等感」から開放された気持ちの発露だろう。物語を締めくくる「神様」の台詞については、信仰を捨て、神なるものへの積極的な否定からの解放、というのが一番しっくり来るだろうか。

「タイランド」

 「タイランド」では自身の人生の石(恨みや後悔、あるいは欲望などのおそらくは心残りのような概念のメタファー)を抱えた女性が、タイで世話をしてくれた優秀な運転手によって引き合わされた超越的な雰囲気を持つ女性の示唆を得て、石を捨てて死ぬ準備(あるいは生きる準備)をする物語。自身の抱える問題に向き合う一人の人物の話として面白いだけでなく、タイのエキゾチックな風景の描写が楽しい。

「かえるくん、東京を救う」

 有名な作品である「かえるくん、東京を救う」は驚くほど奇天烈。

 銀行員である片桐の家に突如人間サイズの大きさの蛙が現れ、「先日の地震(阪神淡路)以上の直下型地震が東京で起きる。震源はあなたの会社の地下だ。止めるために一緒に震源のみみずくんと戦ってくれ(要約)」と言い出す。片桐は協力することにするが、約束の夜の直前に突如狙撃されてしまう。ベッドで意識を取り戻したときには約束の時間はとうに過ぎ、地震が起きるという時間も過ぎていた。看護師曰く、狙撃などされておらず突然意識を失って運び込まれ「かえるくん」と叫びながらうなされていたという。かえるくんが現れ、状況を説明する。かえるくんは勝つことはできなかったが、地震を止めることはできたそうだ。現実も妄想も、あらゆる可能性を捨てないままに物語は幕を閉じる。

 かえるくんの台詞は村上春樹作品の良いところが詰まったように魅力的。「もちろんごらんのとおり本物の蛙です。暗喩とか引用とか脱構築とかサンプリングとか、そいうややこしいものではありません。実物の蛙です。ちょっと鳴いてしましょうか」「ぼくが彼らに与えたのは精神的な恐怖です。ジョセフ・コンラッドが書いているように、真の恐怖とは人間が自らの想像力に対して抱く恐怖のことです」などの妙に含蓄のある言い回しや、片桐が「かえるさん」と頑なに呼ぶことを「かえるくん」と頑なに訂正し続けるところなど、不思議な可愛さがある。

 地震に渦巻く人の感情(おそらくはあまり好ましくないもの)、社会を支える存在に対する想像力など、示唆的なモチーフも多用されている、カフカの短編のような、現代御伽噺。

「蜂蜜パイ」

 村上春樹ファンから支持されているという情報があったので不覚にも期待して読んだら村上春樹の悪いところがめちゃめちゃ出ていた「蜂蜜パイ」。ありていに言えば、受動的だった人間が能動的な人間に成長する話。そのマクガフィンとして「いい女」を使うのが、村上春樹らしいといえばらしいし、いつもはここまで露骨ではないような気もする(村上春樹作品を読むのが久しぶりなのでそんなことないかもしれないが)。流石に今(2024年)ならやらない気がする。

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